京都大学といにしえの左翼
京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館 Panasonic国際交流ホールで8月8日から10日の3日間にわたって基研主導研究会 2012ー原子力・生物学と物理が開かれました。私は3日目の講師として参加しました。
2011年の原発事故以降の科学者の役割を考え直すために、異分野の交流という趣旨で、核物理、原子力科学者、技術者、電力会社、メーカー、生物学者、放射線医学者、などなどの研究者に加えて、教育関係者、一般参加者、学生など多様なメンバー150人が集まりました。
そのうち「素粒子研究」に報告が載るので、中身の詳細はそちらに譲ります。
場所が湯川記念館も兼ねているので、湯川秀樹さんの部屋も見学しました。
これが湯川さんのノーベル賞メダル。
湯川博士の机といすです。ここで研究したんだなあ。
それ以外にも。。。
これはノーベル賞の賞状。
もう1枚の賞状。
講演中の私です。「なぜ放射線を教えるのか、どういう意味があるのか」を、専門家に対して話しました。
3日間京都大学にいたわけですが、我々の世代には懐かしさを覚えるものがたくさんありました。それはかつての全学連や左翼運動の名残(?)が、まだ至る所に見られたからです。
この立て看の意味は今の人たちにわかるのかなあ?朝鮮戦争当時の「北朝鮮をアメリカ帝国主義から守れ」って感じの主張かなと思いました。それとも真逆の「北朝鮮が侵略戦争を仕掛けてくるから阻止しろ」という意味?1960年代左翼的には前者だろうなあ。今の学生にわかるんだろうか?
これは宿舎から大学へ行く途中で見つけたものです。同行したY氏はその当たりの事情に詳しく、解説によると、赤軍派の一人が「アラブの星になる」といった、その星だそうです。
もう少し詳しい事情をウィキペディアから引用します。
- そもそもは、美大生によるスーパー・リアリスムのデザインで、三ツ星を模様として選択したものに過ぎなかったが、日本共産党がこのペイントを見て「(テルアビブ空港乱射事件に参加した)日本赤軍の三人の兵士だと指摘」し、物議をかもすことになった(テルアビブ空港乱射事件に参加し、唯一生き残り逮捕された岡本公三が裁判において、「われわれ3人は、死んでオリオンの3つ星になろうと考えていた。革命戦争はこれからも続くし、いろんな星がふえると思う。しかし、死んだあと、同じ天上で輝くと思えば、これも幸福である」と陳述したことを指していると思われる)。
- 日本共産党の指摘に対し、西部講堂のメンバーらは逆に開き直って、「己の生きるシルシとして、3ツの赤い星を永遠の刻印として刻むことにした」。幻野祭の当日、テルアビブの銃撃戦で亡くなった日本赤軍の京大生(奥平剛士、安田安之)の追悼集会を西部構内で行い、西部講堂から農学部グラウンドまでをつなぐ、一大ページェント「幻野祭」を実現したのであった。
- その後、西部講堂の大屋根は何度か塗り替えられたが、オリオンの三ツ星は、今も健在である。ただし、色は赤色から黄色に変化している。
20世紀の冷戦期の産物とも言えるものが、まだ健在なんですね。中東は今でも安定していません。いつ平和が来るのか。問題は現代にも続いています。
結局宿舎と大学を往復しただけで、研究会に缶詰でした。
わずかに7日に前泊したホテルが東寺のそばだったので行ってみただけです。
コメント
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仮説といい、この研究会といい。
せっかく場所が観光地だったりするのに一切どこにも出掛けずずーっと引きこもって研究っていいね~
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いつものことです。
霧箱へのアクセスが増えてるので、それなりの効果はあったようです。