五色園の浅野祥雲 後編
五色園の浅野祥雲観賞の後半です。
前編はこちら
もくじ
日野左衛門門前石枕(ひのさえもんもんぜんいしまくら)
五色園の東側をたどって一番奥までやってきました。
本堂の下にあるのがこれです。
布教中の親鸞は日野左衛門の館に宿を頼んだのですが,断られてしまいました。
仕方なく門前の石を枕に,念仏を唱えながら寝てしまいました。
日野左衛門の夢に観音様が現れて叱られたので,日野左衛門は深く詫びて親鸞一行を家に招き入れました。
肉付きの面(にくづきのめん)
仏法嫌いの姑が鬼の面を付けて脅かしました。嫁が念仏を唱えると面が取れなくなってしまいました。その後は蓮如の法話を聞いて懺悔することでようやく取れたそうです。
蓮如は親鸞の後,信者を爆発的に増やして,本願寺を作った人です。
寺務所まわりの作品
雲母坂お通い(きららざかおかよい)
親鸞は六角堂に100日通う行をはじめました。険しい坂を下る親鸞の後を,心配した弟子が追います。
親鸞。
作られたばかりの頃は木が茂っていなかったので,地形を生かした展示が見られました。
夜盗耳四郎聞法の場(やとうみみしろうもんぽうのば)
夜盗の耳四郎がある屋敷に忍び込むと,法然の法話が行われていました。それをこっそり聞く耳四郎。
法話にすっかり聞き入った耳四郎は改心して念仏の信者となりました。
仲間の夜盗が裏切った耳四郎を殺しに来ました。すると寝ていた耳四郎が金色の仏の姿に。驚いた盗賊仲間も信者となったのでした。
再生プロジェクトによって金色の姿を取り戻しています。
日吉丸矢作橋出世の糸口(ひよしまるやはぎばししゅっせのいとぐち)
これは親鸞とは全く時代が違う豊臣秀吉(日吉丸)のお話。
日吉丸が矢作橋で野宿しているところに,蜂須賀小六一党が通りかかりました。小六の刀が日吉丸に当たったので,つかんで文句を言っているところ。
その度胸に感心した小六は日吉丸を取り立てたということです。
仲間もびっくりの表情。こういう生き生きした作風は浅野祥雲らしいです。後ろの人が掲げているのはサイコガンではなくて,灯りです。つまり設定は夜ということですね。
もともと五色園には歴史的名場面のコーナーもあったので,親鸞と関係ない像もいくつか作られましたが,これ以外は残っていません。
板敷山弁円狙撃(いたじきやまべんねんそげき)
親鸞の布教で,村人が祈祷を頼むことがなくなり,商売あがったりの山伏たち。
親鸞を襲撃しようと迫ります。
危うし,親鸞。
本来は矢印の辺りに親鸞たちが見えるようになっていました。ここも,もとは地形を生かした展示だったのですが,木が茂ってすっかり森に隠されてしまいました。
弁円悔悟(べんねんかいご)
羅漢(らかん)
注意していないと見逃してしまう,森の中に隠れていた羅漢像。
法隆寺の羅漢像(国宝)を模して作ったものだそうです。
しかし,この像も森の中に消えつつあるようです。
これで入り口に戻ってきました。いやあ広かった。
しかし,あとで矢印の2カ所を見逃したことを知りました。
これは道からはずれた山の中にあるのでしょう。
この地図に載っていない,隠れた像もあるそうで,全部見るのは茂みをかき分けて園内を探す必要がありそうです。
五色園が90年前にできた時は,温泉,動物園,弓道場もあって、当時の一大リゾート施設だったそうです。
今ではお寺にもこれらの像を維持する余裕がなくなっていて,ここまで復元されたのは,「浅野祥雲再生プロジェクト」の努力のたまものです。
それでも,歳月はこの公園を徐々に森の中に消し去ろうとしているようです。
参考文献
・大竹 敏之『コンクリート魂 浅野祥雲大全』,青月社2014
(Amazonのリンクです。)
コメント
-
やっぱり木は切り倒した方が良いと思う。
はじめは何も無かったところにこのコンクリート彫像が置かれたのでしょうから。
本来は木を切って彫像達が本来ある姿が見えるように整備した方がいいだろうな~
放っておけば木は成長するものだから。
これも再生プロジェクトの仕事なのかな。それともお寺が腹をくくるところなのか。