石山寺の光る君へ・大河ドラマ館

Tag: カバの旅 滋賀県 大津市 石山寺 紫式部 大河ドラマ館 光る君へ

3月3日のひなまつり。
滋賀県大津市へ行きました。
新幹線から見えた伊吹山も雪。
関ヶ原は積雪で新幹線は少しスピードを落として運転していました。
 

大津は紫式部もよう。
 

京阪電車で大津市中心部の膳所(ぜぜ)本町へ。
鎌倉の江ノ電のように市街地をくねくね縫って進みました。
 

膳所神社。天皇の食事提供の場所にはどこでも食事を司る神が置かれたそうです。この神社もその一つ。御食津神(みけつのかみ)豊受比売命(とようけひめのみこと)が祭られているそうです。
 

膳所は天智天皇が大津へ都を移したときの、天皇の食事を作る場所となった場所でした。
 天皇の食事を「陪膳(おもの)」と呼びます。
つまり「陪膳の場所」から「膳所」。
さらに、この地は相模川の扇状地で、その先端部が琵琶湖に崎を形成していたため、その地形が「陪膳(おもの)(さき)」と呼ばれるようになりました。この場所はその後平安京へ遷都された後も長く天皇の食事調達場所であったそうです。
 その後時代と共に、
 陪膳(おもの)の崎が、
膳の前(ぜんのさき)
膳前(ぜんぜん)
と変化していき、現在の「ぜぜ」なったということです。
(「出典:Q&A・・・・「膳所」の読みが「ぜぜ」?」)
しかし、この説明では「膳前(ぜぜ)」→「膳所(ぜぜ)」への変化がまだ分かりませんねえ。このサイトによると「所を、せ・ぜ、と読む地名は、奈良の〈御所市〉を〈ごせし〉、当地の〈ぜぜ〉の2件だけ」とのことです。
言葉は月日と共に変化していくので、なかなか完全にたどるのは難しいですね。

琵琶湖畔にあるのが膳所城(ぜぜじょう)。1601年に徳川家康が建造した湖に突き出した城。関ヶ原後の天下普請の第1号だそうです。
今はまわりは埋め立てられ、大手門と石垣が残るだけです。
 

琵琶湖の向こうの山は雪を被っていました。湖岸にころがる大きな石はかつての石垣の名残でしょうか。
 

なにやら火祭りがあるということで、薪となる藁束を運んでいました。
 

 

続いてバスで石山寺へ。天平時代に聖武天皇の請願で建立されたものということです。
入り口となる東大門の仁王像は淀君が寄贈したものだそうです。
 

牛車の展示かな。
 

ここには今年の大河ドラマ「光る君へ」の大河ドラマ館があります。
 
新たに建てたものではなく、明王院という既存の建物の中に展示が作られていました。これもいいですね。

清少納言と紫式部の間でカバも記念写真。
 

まひろさんのお部屋。下級貴族なので質素な作り。
 

フォトスポットがいくつか作られていました。
 

石山寺の多宝塔の下で。石山というのは「岩山の上に作った」からでしょうね。境内全体が岩山の上にありますが、この岩は珪石灰で天然記念物だそうです。
 

まだ梅が残ってました。
 

本堂には「源氏物語を書いた部屋」と伝わるところがありました。
この部屋がある本堂は平安中期の建造で、紫式部が訪れたときは新築間もないということになります。この本堂は滋賀県最古の木造建築。
外側は淀君が修復したものだそうです。
 

ここで書いたんですねえ。この部屋から琵琶湖が見えたということですが、現在は周辺の木が茂って見えません。そのうちドラマでこの部屋から琵琶湖を眺めながら源氏物語を執筆するまひろが登場するかも。
 

この階段の上が多宝塔。
 

多宝塔は鎌倉時代初期の建物で国宝です。
 

岩山の上なので見晴らしが良いです。
 

光堂から少し下ったところに紫式部像。
 

下山したら、ちょっと一休み。石餅です。餅の上のアズキがゴツゴツした岩山を表しているそうです。
 

滋賀県名物「飛びだし坊や」の平安版。
石山駅で戻る途中で見つけたもの。石山駅近くのスーパーにあります。
「飛びだし坊や」とは通行する車両に対して、子どもの飛び出しに注意するように促すための標識です。でも、最近では新しいものに変わっていて、このタイプはあまり見かけなくなりました。
 

 

大津市は京都から山一つ越えた近くです。
風情のある町並みと琵琶湖の景色です。
京都のように激混みではないので、ゆったりと過ごせました。
今年は紫式部効果でちょっと混むかもしれませんね。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

    コメント


    認証コード1889

    コメントは管理者の承認後に表示されます。